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港区立塩釜公園&盬竃神社(新橋)

新橋塩釜公園1
新橋駅前ニュー新橋ビルを左手に曲がり、柳通を南へ歩くと小さな公園があります。
ここは港区立塩釜公園。
昭和5年東京で唯一の町立公園として開園しました。
今は新橋界隈の人々に親しまれています。

新橋塩釜公園2
以前は仙台藩伊達家の所有でしたが、関東大震災復興後、町民が憩える公園をつくろうという計画を伊達興宗伯が聞き約400坪の敷地を愛宕下町会に寄付したものです。
その後、昭和47年に区立公園となりました。

新橋塩釜公園3
公園の奥には鳥居が見えます。
ここが盬竃神社です。
元禄8年(1695)伊達藩内にある盬竃神社本社から分霊を勧請して伊達家上屋敷に創建、安政3年(1856)伊達藩中屋敷に遷座したといいます。

新橋塩釜公園4
一番奥には拝殿があります。
安産守護・延命長寿・産業振興・交通安全に霊験があるようです。

港区新橋5-19-7
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日比谷神社(新橋)

日比谷神社0
東新橋、第一京浜と通称マッカーサー通り(新虎通り)の角にある神社です。
豊受大神、伊勢神宮の御饌の神として伊勢神宮外宮に祀られる神さまで、五穀の主宰神が祀られています。
古くは旧麹町区日比谷公園の大塚山という所に鎮座し、日比谷稲荷明神旅(さ)泊(ば)稲荷明神といわれていました。
江戸城築城に際し日比谷御門を造営することとなり、氏子と共に芝口に移動となったが、町名は従来のまま、日比谷でした。
寛永に、新橋に新しく芝口御門を造営することになり、町名も日比谷町から芝口町へと改称しましたが、神社の社号は変わりませんでした。

日比谷神社1
日比谷公園の中にあった頃、苦しんでいる旅人たちに神社の社務所を開放し、無病息災の祈願を受けさせたところ、霊験があらたかだったことから、旅泊(さば)稲荷と呼ばれました。
マッカーサー通りができたときに移転して新しく立て直しましたが、以前の古い建物もおもむきがあって良かったです。

烏森神社(港区新橋)

烏森神社1
新橋駅の烏森口を出て、少し歩くと飲屋街の間に参道があります。
ここが烏森神社。
烏森神社のホームページによると、古くこのあたりが武蔵の国桜田村と呼ばれていた時代には、松林で「枯州の森」あるいは「空州の森」と言われていたらしいです。松林には、烏が多く集まって巣をかけていた為、後には「烏の森」とも呼ばれるようになったという話です。

烏森神社2
奥にすすむと結構大きな建物です。
椙森神社(日本橋)柳森神社(神田)と併せ「江戸三森」として古くから崇敬され、明治6年にはこれまでの烏森稲荷社の社名を烏森神社と改め、新橋烏森の守り神として多くの人々の信仰を得たようです。
ここは新橋の飲屋街の真ん中の異次元空間ですね。

愛宕神社(東京都港区)

愛宕神社-1
職場から御成門経由で虎ノ門方面へ行くと愛宕神社の入り口があります。
鳥居の先には急な階段が見えます。

愛宕神社-2
階段のすぐ下まで来て見上げるとこんな感じです。
ここが有名な出世の石段です。
三代将軍、家光公が芝の増上寺にご参詣のお帰りに、愛宕神社の下を通った時、源平の梅が満開。
家光公は、梅を取って参れと命じましたが、あまりにも急な階段なので皆躊躇していました。
そのとき四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎が、山上の梅を馬にて石段をのぼり家光公に梅を献上し、日本一の馬術の名人と讃えらたと伝えられています。

愛宕神社-3
上から見ると、下から見るよりもっと急に見えます。
正面の坂(男坂)を出世の石段といい、曲垣平九郎以外にもわが宮城出身石川清馬他2名も成功しているようです。

愛宕神社-4
ここは登りきった頂上の社殿です。
愛宕神社がある愛宕山は標高25.7メートル、23区の中で天然の山では一番高い山です。

愛宕神社-7
これは曲垣平九郎の顔はめです。

愛宕神社-6
また愛宕神社は、西郷隆盛と勝海舟が、明治元年に会談した場所として知られています。
なので2人の顔はめもありました。
すぐ北には虎ノ門ヒルズもあり、眺めもきれいでした。

東京都港区愛宕1-5-3

増上寺(大門)

増上寺
増上寺は勤務先からもすぐのところにあります。
徳川家の菩提寺で、2代将軍徳川秀忠をはじめ、6人の将軍が葬られています。
江戸時代は東海道を通って江戸に入る旅人のランドマークにもなっていたと、ブラタモリでも紹介されていました。
すぐそばには現代のランドマーク、東京タワーもあります。


港区芝公園4-7-35
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